Anglo-bites

 **イギリスつまみ食い**

第48回の目次
● はじめに
● お客様は神様です
● 最後に

● はじめに

さて、今回はイギリスの客と店の関係を取り上げてみたいと思います。実はこれについては、全面改装前のホームページ "Beanstalk"(豆の木便り)の中で、"Anglo-bites"(イギリスつまみ食い)の番外編としてすでに取り上げています。すでにお読み下さった方もいらっしゃるかと思いますが、次回から2回に渡ってご紹介するイギリスの消費者文化(というとちょっと大げさですが)の導入部分として読んでいただきたかったため、再びこのテーマを取り上げました。また、このコーナーは、ホームページを「フラミンゴビーチ」に変えたのと同時に割愛したため、現在のホームページでは読んでいただくことができません。今回、メールマガジンへの掲載に伴い全面的に文章を書き換えましたが、すでに "Beanstalk" (豆の木便り)でご覧下さった方々は、どうぞ軽く読み流して下さい。

 ● お客様は神様です

このメールマガジンを以前からご愛読下さっている皆さんならすでにお気づきでしょうが、わたしがイギリスを誉めることは滅多にありません。でも、これだけは見習いたいと思うのが客と店員との関係です。

イギリスで買い物をする時、まずレジの前に立って「ハロー」。店員も「ハロー」。そして、代金を店員に渡して「サンキュー」。店員が金を受け取って「サンキュー」。釣りがある場合は、釣りを受け取って客が「サンキュー」。そこには、客と店員との相互の感謝の気持ちがあります。店員は買ってくれてありがとう、客は自分のほしかった物を手に入れさせてくれてありがとうという気持ちです。そして、この「ハロー」と「サンキュー」のやりとりにしばしば微笑が伴います。

日本では最初の「ハロー」はまずないでしょう。店員の「いらっしゃいませ。」がこれに当たるかもしれませんが、客がこれに返すことはまずないですよね。これは単に文化の違いと言えるかもしれません。ある説によると、目が合ったらにっこり笑って「ハロー」と言うのは、敵意が無いことを相手に示すための中世以来の西欧の習慣だそうです。最後の「サンキュー」は日本ではなくなりつつあるように思います。イギリスの習慣を見習って、わたしは意識的に「お世話様でした。」と言うようにしていますが、客が店員にお礼を言っているシーンはあまり見かけません。

日本ではお客様は神様ですが、イギリスではお客様は人間以上でも人間以下でもありません。店員と同じ人間です。日本では客は下にも置かない扱いを受けますが、これは客が金を落としてくれる存在だからです。

作家の井上ひさし氏は、日本語の敬語について論じたときに、「(敬語乱れているというが)接客業種では、敬語が過度に使われている。商業敬語は全盛。」と言ったそうです。その中でまた、「人よりお金に頭を下げている。」と指摘しています。これはまさしく日本の客と店員との関係そのものと言えましょう。

かつて同じテーマをホームページに掲載した時に、読者の方からこれに関してお便りをいただきました。日本で商人が客に対してとりわけへりくだった態度を取るのは、かつての士農工商という身分制度の名残ではないかとあるアメリカ人が指摘しているというものです。商いを営みながらも商人であることを自己卑下している日本人店主もいますので、これにも一理あるでしょう。また、イギリスにも "The customers are royalty."(お客様は王族)"The customers are always right."(お客様は常に正しい。)など、「お客様は神様です。」に匹敵する言葉はあるものの、日本ほど客の前で極度にへりくだった態度をとり、媚びる店主は見たことがありません。これから考えると、士農工商説にもうなずけます。

しかし、とりわけ日本的と思われるのは店員の態度です。たぶん店員には商人という伝統的な身分制度の引け目はないでしょう。また、客の金が直接自分の懐に入ってくるわけでもないので、金が客に媚びる直接の動機となっているとは思えません。(イギリスの店員を見ていると、売れても売れなくても時給は同じだから楽してお金をもらったほうが得という考えが透けて見えるような人もいます。)それでも、日本で「お客様は神様」が浸透しているのは店への帰属意識からではないでしょうか。店・会社の利益と自分の利益を同一視する、所属団体への忠実さが、お客様を人間以上にするのだと思います。

ところが、金の切れ目は縁の切れ目。相手が自分の店にとって金を落としてくれない存在とわかれば、即座に冷たくなるのが日本の店員です。その代表的な例が返品の際の店の態度です。売るときにはあれだけちやほやしてくれたのに、返品となると手のひらを返したように非協力的になります。神様から一気に人間以下の扱いです。

イギリスで感心するのは、もしほしいものがその店で扱っていない場合、または品切れになっている場合、必ず、「うちにはないけど、あそこの店なら置いているかもしれないよ。」と言って、他の店を紹介してくれることです。他の店とはすなわち同業他社であり競争相手です。スペインでの話ですが、イギリス人経営の近所のインターネットカフェに行った時のことです。この日は電話線が故障していてインターネットができないとのことでした。(電話のないインターネットカフェなんて、世界中探してもそんなにあるものではありません。)途方に暮れた顔をしているわたしたちを見て、イギリス人の店員は近所にある別のインターネットカフェをいくつか紹介してくれました。この親切な店員のおかげで、わたしたちはもっと便利で信頼のおける(電話線がしょっちゅう故障しない)インターネットカフェを発見したわけです。それ以来、このイギリス人経営のインターネットカフェには行っていません。こうしたリスクをおかしながらも、このイギリス人店員はわたしたちを助けてくれたわけです。

ここにあるのは、店と客というお金の関係を越えた純粋な厚意です。ここには、対等な人間同士の関係しかありません。確かに、店員が奴隷のようにかしずいてくれるのは、たいへん気持ちのいいことです。しかし、それが自分のためではなく、自分の財布のためだというのは、悲しいことのような気がします。買ってくれてありがとう、自分のほしかったものを手に入れさせてくれてありがとうという店と客との相互の感謝が交わされるイギリス式買い物のほうが、ずっと気持ちがいいとわたしは思うのです。

 ● 最後に

次号では、今回ちょっと触れましたイギリスの返品制度を取り上げてみたいと思います。題して、「ごね得のススメ」。これもまた、わたしとしては珍しくイギリス賛美になりそうです。故郷や子供時代は遠く離れて見ると美しい思い出ばかりが残るものですが、わたしにとってのイギリスもそうなってくるような気がします。イギリスに対する辛口批判を期待して読んでくださっている皆様、ごめんなさいね。たまにはイギリスの悪口も書くようにします。でも、スペインと比べるとやっぱりイギリスは文明国です。

スペインの店員と客との関係はといえば、店員に客に対する関心があるときには客は人間となり、全く関心のない時、あるいは別の関心がある時には、客は人間として存在しなくなると言えるでしょう。つまり、同僚とのおしゃべりに夢中の時、あるいは機嫌の悪い時には客に一言の挨拶もありません。最後の「ありがとうございました。」すら聞かれないこともあります。イギリス人の夫が立腹するのが、「プリーズ」のないこと。イギリスの場合、会計時に「○○ポンド○○ペンス、プリーズ」と店員が言いますが、スペインではこの最後のプリーズがありません。これが客に対する態度かと夫は憤慨するのですが、これはたぶん日本と同様「○○円になります。」という合計額の提示であり、「○○円いただきます。」というイギリス式要求ではないのだとわたしは思います。これは単なる習慣の違いなのでしょう。

2月初めにイギリスに9日間ほど帰りましたが、その時夫が強く印象を受けたのが接客態度が向上したことだそうです。どこへ行ってもたいへん協力的で丁寧な扱いを受けたと感心していました。特に、レストランのサービスには明らかに向上が見られ、「ハーイ。わたしの名前は○○。今日のあなたのウェイトレスです。よろしくね。」というアメリカ式のフレンドリーで個人的に気の付くサービスに近づく日も遠くないと思われるということでした。この原因は明らかにチップでしょう。チップはあくまでも心づけ、客がよいサービスを受けたと思うときのみ任意でお金を残していったものでした。かつては、サービス料を請求するのはソーホーの中華・タイレストランくらいでしたが、今回はロンドン郊外のイタリア料理店でサービス料込みの勘定書きを受け取りびっくりしました。顧客サービスも金で買う時代になりつつあります。

[バックナンバー一覧を見る] [トップページに戻る]