● お客様は神様です
このメールマガジンを以前からご愛読下さっている皆さんならすでにお気づきでしょうが、わたしがイギリスを誉めることは滅多にありません。でも、これだけは見習いたいと思うのが客と店員との関係です。
イギリスで買い物をする時、まずレジの前に立って「ハロー」。店員も「ハロー」。そして、代金を店員に渡して「サンキュー」。店員が金を受け取って「サンキュー」。釣りがある場合は、釣りを受け取って客が「サンキュー」。そこには、客と店員との相互の感謝の気持ちがあります。店員は買ってくれてありがとう、客は自分のほしかった物を手に入れさせてくれてありがとうという気持ちです。そして、この「ハロー」と「サンキュー」のやりとりにしばしば微笑が伴います。
日本では最初の「ハロー」はまずないでしょう。店員の「いらっしゃいませ。」がこれに当たるかもしれませんが、客がこれに返すことはまずないですよね。これは単に文化の違いと言えるかもしれません。ある説によると、目が合ったらにっこり笑って「ハロー」と言うのは、敵意が無いことを相手に示すための中世以来の西欧の習慣だそうです。最後の「サンキュー」は日本ではなくなりつつあるように思います。イギリスの習慣を見習って、わたしは意識的に「お世話様でした。」と言うようにしていますが、客が店員にお礼を言っているシーンはあまり見かけません。
日本ではお客様は神様ですが、イギリスではお客様は人間以上でも人間以下でもありません。店員と同じ人間です。日本では客は下にも置かない扱いを受けますが、これは客が金を落としてくれる存在だからです。
作家の井上ひさし氏は、日本語の敬語について論じたときに、「(敬語乱れているというが)接客業種では、敬語が過度に使われている。商業敬語は全盛。」と言ったそうです。その中でまた、「人よりお金に頭を下げている。」と指摘しています。これはまさしく日本の客と店員との関係そのものと言えましょう。
かつて同じテーマをホームページに掲載した時に、読者の方からこれに関してお便りをいただきました。日本で商人が客に対してとりわけへりくだった態度を取るのは、かつての士農工商という身分制度の名残ではないかとあるアメリカ人が指摘しているというものです。商いを営みながらも商人であることを自己卑下している日本人店主もいますので、これにも一理あるでしょう。また、イギリスにも "The customers are royalty."(お客様は王族)"The customers are always right."(お客様は常に正しい。)など、「お客様は神様です。」に匹敵する言葉はあるものの、日本ほど客の前で極度にへりくだった態度をとり、媚びる店主は見たことがありません。これから考えると、士農工商説にもうなずけます。
しかし、とりわけ日本的と思われるのは店員の態度です。たぶん店員には商人という伝統的な身分制度の引け目はないでしょう。また、客の金が直接自分の懐に入ってくるわけでもないので、金が客に媚びる直接の動機となっているとは思えません。(イギリスの店員を見ていると、売れても売れなくても時給は同じだから楽してお金をもらったほうが得という考えが透けて見えるような人もいます。)それでも、日本で「お客様は神様」が浸透しているのは店への帰属意識からではないでしょうか。店・会社の利益と自分の利益を同一視する、所属団体への忠実さが、お客様を人間以上にするのだと思います。
ところが、金の切れ目は縁の切れ目。相手が自分の店にとって金を落としてくれない存在とわかれば、即座に冷たくなるのが日本の店員です。その代表的な例が返品の際の店の態度です。売るときにはあれだけちやほやしてくれたのに、返品となると手のひらを返したように非協力的になります。神様から一気に人間以下の扱いです。
イギリスで感心するのは、もしほしいものがその店で扱っていない場合、または品切れになっている場合、必ず、「うちにはないけど、あそこの店なら置いているかもしれないよ。」と言って、他の店を紹介してくれることです。他の店とはすなわち同業他社であり競争相手です。スペインでの話ですが、イギリス人経営の近所のインターネットカフェに行った時のことです。この日は電話線が故障していてインターネットができないとのことでした。(電話のないインターネットカフェなんて、世界中探してもそんなにあるものではありません。)途方に暮れた顔をしているわたしたちを見て、イギリス人の店員は近所にある別のインターネットカフェをいくつか紹介してくれました。この親切な店員のおかげで、わたしたちはもっと便利で信頼のおける(電話線がしょっちゅう故障しない)インターネットカフェを発見したわけです。それ以来、このイギリス人経営のインターネットカフェには行っていません。こうしたリスクをおかしながらも、このイギリス人店員はわたしたちを助けてくれたわけです。
ここにあるのは、店と客というお金の関係を越えた純粋な厚意です。ここには、対等な人間同士の関係しかありません。確かに、店員が奴隷のようにかしずいてくれるのは、たいへん気持ちのいいことです。しかし、それが自分のためではなく、自分の財布のためだというのは、悲しいことのような気がします。買ってくれてありがとう、自分のほしかったものを手に入れさせてくれてありがとうという店と客との相互の感謝が交わされるイギリス式買い物のほうが、ずっと気持ちがいいとわたしは思うのです。