Anglo-bites

 **イギリスつまみ食い**

第67回の目次
● ゆりかごから墓場まで〜イギリスの国民医療制度(1)
● 次回予告

● ゆりかごから墓場まで〜イギリスの国民医療制度(1)

廃刊ぎりぎりに発行したお知らせを読んでくださって以来、辛抱強く待ってくださっていたみなさま、どうもありがとうございました。お約束どおり、今回からイギリスの福祉制度の要たる国民医療サービス(National Health Service)についてご紹介していきます。この国民医療サービスは国民保健サービスとも訳されているようですが、日本の国民健康保険制度と同様のものと考えていただければよいでしょう。イギリス国内では、NHSという略称で知られています。

まず、今回はNHSの仕組みについて取り上げてみたいと思います。次号からは、その問題点について取り上げていく予定です。次号からと書いたのは、たぶん問題点のほうが長くなりそうな気がするからです。そして、最後にNHSに対するわたしの判決を述べたいと思っています。

実は、今年の夏のイギリス滞在中、幸か不幸かNHSのお世話になる機会に恵まれました。もしこの経験がなかったら、今回からの記事(特に次号)はまったく異なったものになっていたでしょう。見ると聞くとは大違い、一見は百聞にしかずと言いますが、新聞報道や人から聞いていた話とはまったく異なることも少なくありませんでした。こうした個人的な体験を交えて、わかりやすく話を進めていきたいと思っています。

イギリスのNHSは1948年に創設されました。日本の国民健康保険制度同様、国民皆保険制度という概念に支えられていますが、1割負担だの3割負担だのとケチなことはいいません。お財布を持たずに医者に行ける(例外についてはのちにご説明します)、基本的に医療は無料というのがこの制度のすばらしいところです。

NHSに当てられる予算の80パーセントが、病気の予防・診断、ちょっとした外傷の処置などを目的とした初期医療に注ぎ込まれています。この初期医療の窓口となっているのが、一般家庭医(General Practioner、しばしばGPと略されます)です。ここが日本の国民健康保険制度と決定的に異なる部分と言えるでしょう。日本の場合、からだの不調に気がついた場合、どこでも自分の好きな医者に行き、そのたびに別の医院に行くことも可能でしょうが、まずイギリスに住み始めたら、かかりつけのGPを決め、患者として登録をします。耳鼻咽喉科・産婦人科・内科・外科を問わず、すべてのからだの不調に関しては、まずこのGPに診てもらうことになります。

このGPがどの程度の規模かというと、それはそれぞれのGPがどの程度の予算を割り当てられているかによって異なります。わたしがかつて住んでいたビーン村は600世帯ほどの小さな村でしたが、GPが2件ありました。我が家から50メートルほどのところにあるGPのほうにわたしは登録していたのですが、ここは2人の医者が交代で治療に当たっていて、建物も設備も日本の町医者よりも小さかったように記憶しています。

現在登録しているヨールディングという村のGPはもう少し規模が大きめです。半径5マイル以内の市町村をカバーしていることだけあって、予算も多く割り当てられているのでしょう。3人の医者(そのうちの1人はつい最近引退してしまいましたが)の共同経営によるもので、直接経営に携わっている医者のほかに、3〜4人の非常勤の医者が交代で治療に当たっているようです。往診もあります。

医者のほかに、予防注射を行ったり、血液検査などの検査用サンプルを採取する(検査自体は民間の研究所に外注に出されるようです)看護婦、薬剤師(1マイル以内に薬局がないところに住んでいる人たちに薬を提供するために、調剤薬局が診療所内に設けられています)も常駐しています。

ほとんどの医者は内科医ですが、簡単な手術をすることもあるようです(たぶん切り傷の縫合などだと思いますが、ほくろの除去もしてくれるというのを聞いて感心したことがあります)。こうして、ちょっとした病気の場合にはGPが薬を処方し、それで病気を治すわけですが、もっと深刻な病気と思われる場合には、GPからNHSトラスト経営の総合病院(つまり、公立病院ということになります)の専門医に照会をしてもらうことになります。ここからが二次治療という段階になります。

長い間GPが初期治療を一手に引き受けていましたが、なかなかすぐに予約が取れず、診療時間も普通の会社の勤務時間内に限られることが多いという不満から、近年になって新しく導入されたのが、NHSダイレクトとNHSウォークインセンターという制度です。

NHSダイレクトは電話による医療サービスで、訓練を受けた看護婦が緊急の医療相談や応急措置の指導などに当たります。24時間対応が売り物です。

NHSウォークインセンターはNHSトラスト経営の病院の中や駅の構内、スーパーマーケットの一角などに併設されており、予約なしに治療を受けられるのが魅力です。経験を積んだ看護婦が風邪などのちょっとした病気や軽い怪我の治療に当たっていますが、通勤の途中に立ち寄ることができるというのがうたい文句。地の利と朝早くから夜遅くまでに及ぶ診療時間の長さと、ほとんどのセンターが週末でも休まず開いていることが利点となっています。

さて、ここまでが一般的な病気や怪我の初期治療についてでしたが、このほかに歯科医や眼鏡技師・薬剤師などもNHSの初期治療の分野の一部とされています。これらの専門分野では事情は若干異なり、GPが国民健康保険の患者の初期医療を一手に引き受けているのに対して、これらの部門では、NHS扱いの患者だけでなく、プライベート(自費で治療を受ける)の患者をも扱っているケースがほとんどです。最近ではこれらの専門分野におけるNHSの占める範囲はだんだんにせばまり、特に今年4月の料金体系を含む大幅な改革以降、NHSは歯科医にとってほとんど利益がなくなったため、国民健康保険扱いの患者を新規に登録し、受け入れる歯科医はいなくなっているようです。NHS扱いで無料で歯の治療が受けられるのは、18歳未満か妊婦、生活保護や失業手当を受給している人などに限られています。これらの条件に当てはまらない人の場合は、NHS所定の料金を支払うことになりますが、前述したように、こうしたNHS扱いの有料の患者を新規に受け入れる歯医者はほとんどいなくなってるのが現状です。

次に、二次治療についてですが、これはそれぞれの地域のNHSトラストが運営する総合病院(公立病院)が担っています。GPから照会を受けた患者の診察・検査・手術・入院時の世話などに当たります。これも、基本的に無料です。一部負担を含め、費用の自己負担は一切ありません。

通常救急車を呼ぶと、これら総合病院の急患受付(Accident and Emergency Department、A&Eという略称あるいはCasualtyとして知られています。テレビ番組で有名なERはアメリカ英語です)に連れていかれることになります。また、GPの診療時間外(夜間や休日)に急病になった場合も、ここに駆け込みます。医療には急患専門の医師が対応しています。

このほか、介護もNHSの責任の一部となっていますが、これについては割愛させていただき、ここでは医療に絞ることにします。

以上の医療がすべて無料で受けられるのがイギリスの国民医療制度のすばらしいところです。救急車を呼ぶときに、クレジットカードや医療保険の証書など、治療代を払えるという証拠を見せなくてもいいし、GPや公立病院にも財布を持たずに行けます。とはいえ、一つだけ例外があって、処方箋料だけは有料です。処方箋1件に対して現在は6ポンド50ペンス(約1,300円)を払わなくてはいけませんので、医者に行くときには念のために財布を持ってでかけたほうが賢明です。が、医薬分業に移行した日本のように処方箋料に加えて、薬代を支払う必要はありません。6ポンド50ペンスで薬代までカバーされます。そこで、薬屋の店頭で6ポンド50ペンス以下で買える薬の場合は、意図的にGPが処方箋を出さずに、直接薬局に行くように指示する場合もあります。また、処方箋料の支払いにもやはり例外があり、生活保護を受けている人たちや失業中の人たち、また経口避妊薬のような家族計画に関連する医薬品に対しては、処方箋料は免除されます(子供1人を国家が養うのにかかる費用を考えたら、家族計画のための医薬費なんて安いもの)。

病気になったときに、一割負担にしろ一時的な出費すらなく、医療費を払えるかどうか、いくらかかるかという金銭的な心配をまったくしないで済むというのが、イギリスの国民医療制度のすばらしい点でしょう。

● 次回予告

これでイギリスの国民医療制度に関する骨格の説明は終わりです。みなさんの理解のお役に立てたらありがたいと思っていますが、たぶん、行き届かない箇所も多分にあると思います。特に日本の制度との比較からお話を進めていけばもっとわかりやすいと思うのですが、なにしろ日本の制度からはこの16年遠ざかっていますし、日本にいた頃もあまり病気には縁のない生活をしていました。「この点はどうなのだ?」などご質問がありましたら、ぜひお便りをください。追って取り上げていきたいと思います。

さて、次回からはこの制度の問題点を扱っていきたいと思っています。たぶん、こちらのほうが読んでいただいておもしろいのではないでしょうか。個人的な体験談も含めて、NHSの実情をご紹介していく予定です。

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