● ハハノオシエ(2)
このメルマガが始まって早9年9ヶ月(途中休刊もありましたが)。創刊第1号のテーマを覚えていらっしゃる読者の方はいらっしゃるでしょうか。それは、ハハノオシエ。当時ウィークリーまぐまぐの中で、「ハハノオシエ」というタイトルの読者投稿欄があり、そこでは、一見世に伝わる伝説・迷信のようでありながら、自分に都合のいいようについた大人(特に母親)の嘘というのが紹介されていました。第1号では、それにちなんで、イギリスの迷信をご紹介したものです。
この中で、日本の迷信のほうが独創力に富み、説得力があるとわたしは言ったのですが、その後、イギリスのお母さんたちもうちの母に負けず想像力があったことがわかりました。もうかなり前になりますが、スペイン在住のイギリス人を対象とした英字新聞「コスタ・ブランカ・ニュース」の中で、まさしく日本語で「ハハノオシエ」に当たる"Mum Knows Best"というタイトルのコラムを読んだことがあります。その中で、筆者アニータ・ボンドさんの想像力豊かなお母様によるイマシメが紹介されていたのですが、残念ながら、切り抜きを紛失してしまったので、今となってはその全部をみなさんにご紹介することができません。が、今でも覚えている一番の傑作が、「風が吹いたときにしかめつらをしていると、そのまま一生顔が元に戻らなくなる」。これはしかめつらをすることを戒めたものなのでしょうが、なかなか説得力がありますよね。そのほか、ボンド家にもやはりボーギーマン(bogeyman)についてのオシエがあったようです。
ボーギーマンにまつわる戒めはイギリスの家庭でよく見られますが、それぞれ微妙に異なるようです。が、どれもだいたい「悪い子にしているとボーギーマンが捕まえに来るぞ。だから、お行儀よくしなさい」ということに集約され、ボーギーマンが来た後、その子供に何をするのかは各家庭によって異なります。つまり、ボーギーマンは特定の形を取らず、それぞれの子供の心に住む恐怖心を形にしたものと言ってよいでしょう。と書くと、ハリー・ポッターファンの方なら、きっとボガート(boggart)を連想すると思います。ボーギーマンは、イギリス各地に伝説として伝わるボガートに由来するとも言われています。
さて、母といえば、日本では幼い子供が怪我をしたとき、「痛いの痛いの、飛んでけ〜」とお母さんが言って治してくれますが、イギリスでこれに当たるのが"kiss it better"。お母さんはキスで治してくれるというわけです。
フランスの我が家の2軒隣に住むご夫妻は、尻尾のない猫で有名なマン島の出身なのですが、マン島も迷信が多いところのようです。もっとも有 名なのは、この地では"rat"(ドブネズミ)は禁句で、代わりに"longtail" という言葉が使われます。これは、ネズミは災難をもたらすと忌み嫌う迷信深い船乗りたちの影響によるところが大きいということです。
同じような言い伝えは、イングランド南西部のドーセット県のポートランド島にもあります。ロンドンのセント・ポール大聖堂の建設にも使われた石の産地として有名なこの地で恐れられているのはウサギ。ウサギが巣とする穴を掘ると、採石場での山崩れにつながることから、ウサギは災厄をもたらすものとされています。また、出航する前にウサギを見ると縁起が悪いという船乗りの間での言い伝えによるところもあるようです。100年以上前から、この島の住民は、"rabbit"という言葉を口にすることを避け、代わりに、"underground mutton"(地下の羊)あるいは"furry things"(毛のふさふさしたもの)と呼ぶということです。
クレイアニメ作品として有名なウォレスとグルミット映画の"The Curse of the Were-Rabbit"(邦題「野菜畑で大ピンチ!」)が映画館公開されたときには、この島では住民感情を傷つけるのを恐れて、映画の宣伝は自粛され、"Something bunny is going on"(何かウサちゃんっぽいことが起こっている)とのみ書かれたポスターが1枚だけ島の外の道路に貼られたということです。
この2つの島の例や「ハハノオシエ(1)」でもご紹介したように、船乗りは迷信深いことで有名ですが、劇場関係者もまたそれに引けをとらなりません。
舞台俳優たちに向かって「がんばってね」と言うときには、"Break a leg!"という表現を使うことがよく知られています。"Good luck"と文字通り幸運を祈るのは、逆に縁起が悪いのだそうです。
この起源としてはいくつかの説がありますが、通説ではシェークスピア時代の習慣に基づくということです。この時代には、役者たちは給料のほかに芝居の出来によってチップを受け取りましたが、カーテンコールの時に、お粗末な演技に対しては、観客が腐った野菜などを役者に向かって投げ(とすると、昔は万が一の場合に備えて、腐りかけの野菜を持って芝居を見に行ったのでしょうか?)、いい芝居にはお金を投げたそうです。そして、お金のチップを集めるために、役者たちは膝を折ってしゃがんだので、芝居の成功(=たくさんのチップ)を祈って、"break a leg"「足を折れ」という表現が使われるようになったというものです。
その迷信家の劇場関係者たちにもっとも恐れられているのが、シェークスピアの悲劇『マクベス』です。役者たちは決してこの名前を口にしません。敢えて言及しないといけない場合には、通常"The Scottish Play"(あのスコットランドの劇)と呼ばれます。イギリスのコメディー番組『ブラックアダー3』の中で、主人公のエドモンド・ブラックアダーが2人のシェークスピア俳優の前で、嫌がらせにわざと『マクベス』の名前を口にすると、その度にこの2人の役者は歌を歌いながら、手を打ち合わせ、お互いの鼻をつまむ厄払いのおまじないをしていました。実際には、もし誰かが『マクベス』という名前を劇場内で口にした場合には、その人は劇場の外に出、3度回ってつばを吐き、ののしり言葉を口にした後、ドアをノックして、再度劇場内に入る許しを得ないといけないそうです。
このシェークスピア劇がこれほど恐れられている理由はいくつかあります。まず、この劇の中で3人の魔女("Weird Sisters")が歌う歌(この歌詞は映画『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の冒頭でも使われています)はほんものの呪文であり、悪霊を呼び起こすというもの。次に、この劇の中にはほかのシェークスピア劇よりずっと多くの剣術シーンがあり、それゆえ、リハーサルや本番で俳優が怪我をする確率が高かった。初演で、小道具の短剣が誤って本物にすり替えられ、役者が死んだという伝説もあります。また、この芝居を上演した後、倒産する劇場が多いというのもこの劇が不吉と言われる理由の1つのですが、それはこの劇が人気があるため、倒産寸前の劇場が起死回生を狙う出し物として選ぶことが多かったこと、または、この劇の制作にかかる費用は高く、それゆえに劇場がつぶれることが多かったということがその原因となっているようです。このほかにも、小道具係が魔女の大なべを芝居のために調達するとき、適当なものが見つからず、魔女たちから盗んだところ、その魔女たちが仕返しに芝居に呪いをかけた、シェークスピアは実際の魔女たちからセリフを拝借したが、芝居を見た魔女たちの気に入らず、芝居に呪いをかけたなど、想像力に富んだ伝説が残っています。
そのほかにも、舞台俳優を含め、劇場関係者が迷信家であることを示すいろいろな言い伝えが劇場にはあります。観客無しで全劇を通して演じるのは縁起が悪いとされており、そのため、リハーサルは未完に終わらせようということで、決して最後のセリフは口にされません。また、リハーサルの出来が悪いと、初日の芝居の出来がいいという言い伝えもあります。
こうした迷信深い人たちは幽霊の存在も信じており、劇場は必ず週に1度閉めることになっています。この休場日は月曜日のところが多いようですが、幽霊たちが自分たちの劇を演じるために設けられているそうです。特定の幽霊が出没するという伝説のある劇場も少なくありません。また、劇場に誰もいなくても、必ず1つだけ(通常舞台前方中央に)火を点しておく習慣がありますが、これは悪霊を寄せ付けないようにするため言われます。が、真っ暗にしておくと、作業員が置かれた舞台装置などにつまづいて、怪我をするので、これを避けるという実際的な理由もあるようです。
人それぞれいろいろな言い伝えを信じるものですが、ある年配のイギリス人女性は、食卓で塩を手渡すのをたいへん嫌っていました。"Pass the salt, pass the sorrow"と言って、塩をほかの人に回すのは、悲しみをも手渡すことになるのだそうです。そこで、誰かに塩を取ってもらうときにはその手から直接取らず、必ず一度テーブルの上に置いてもらって、そこからそれを取るということをしていました。この例について、ネットで調べてみたところ、同じ言い伝えを発見したものの、あまり件数は多くありませんでした。わたしも、この人以外の人が実行しているのを見たことがないので、それほどよく知られた迷信ではないのかもしれません。この人も今は亡き人となってしまい、また1人信じる人が減ってしまったようです。
これは少数派の例ですが、たいへん一般的な迷信の中には、カササギに関するものがあります。カササギは日本では生息範囲が非常に狭いそうですが、ヨーロッパではたいへんよく見られるカラス科の鳥です。言い伝えは韻を踏んだ詩の形になっており、One for sorrow, Two for joy, Three for a girl, Four for a boy, Five for silver, Six for gold, Seven for a secret never to be told"と言うのがもっとも一般的に信じられているようです。中には、この後、延々20まで続くバージョンもあるとのこと。また、カササギにあまりなじみのないアメリカでは、カラスについて同じことが信じられているということです(出所について調べてみましたが、残念ながら、決定的な答えは得られませんでした)。
が、すべてに共通しているのは、カササギが1羽でいるのは縁起が悪いということです。これにも厄除けのおまじないはあるようで、"I defy thee"(汝を恐れぬぞ)と7回言うとか、一緒に歩いている人を、あるいはひとりで歩いている場合は自分自身をつねるとか、敬意を表すために、「こんにちは、マグパイさん、奥様のご機嫌はいかがですか?」と挨拶するという対抗策が挙げられています(Wikipediaなどより)。が、わたしは急いでもう1羽探します。2羽は縁起がいいので。ちょうど、くしゃみについて、「1にほめられ、2くさされ、3にほれられ、4風邪ひく(これにもいろいろなバージョンがあるようです)」と言われるので、2つ目のくしゃみが出てしまったら、必ずもう1つおまけにくしゃみをするのに似ています。
お天気に関する民間伝承や迷信は特に数が多いので、これについては、後日1号を割いて特集することにして、今回はこのへんでおしまいにしておきます。