● ひとり外食が急増中
最近、たまたまBBCサイトを見ていて、目に留まったのが、ひとり外食が増加しているというビジネス欄の記事。これを見て、昔、イギリスを一人旅していたときのことを思い出しました。一人旅で、困るのが食事。イギリスでは、B&Bで、朝、フルイングリッシュブレックファーストをいただくと、昼食は要らないのがいいところです。お腹が空いたときには、もっぱら、一人でも気軽に入れるファーストフードチェーンのお世話になっていましたが、せっかくヨーロッパまで来たのだから、たまには、伝統料理や地元の名物をいただきたい。ダービーシャーの田舎の町に滞在したときには、マクドナルドもないし、思い切って、ある晩、小さなレストランに入りました。まず、レストランに入って、「何人様ですか?」というお決まりの質問に「一人」と答えると、好奇の(あるいは胡散臭げな)視線を向けられました。その後も、激しい注目の視線に、いたたまれないで、とにかく食事を終わらせることに集中しました。何を食べたかも覚えていません。当時は、日本人が珍しいのかとも思いましたが、ひとりで(特に女性が)食事をするということ自体が珍しいのだと結論したものです。
さて、この記事ですが、最近は、"solo dining"が流行中。要するに、一人でレストランで食事をすることですが、"alone"という響きには、寂しい感じがするので、"dining alone" よりは、"solo"という表現を選んだのでしょうね。ソロというと、自ら選んで単独で行うことにしたという感じがします。ソロ飛行、ソロ演奏など、イメージもずっとポジティブです。
やっぱり、あのマトロック・バースでの異様な視線は、日本人ゆえではなかったとこの記事を読み始めて納得しました。以前は、きちんとしたレストランに一人で行って食事をするのには、勇気がいった、それは、友達のいない落伍者というイメージで見られるかことがよくあるから、ということです。そこで、一人で食事をするなら(出張といったような状況でしょうが)、車の中でテイクアウトの食べ物をかっ込むか、ルームサービスを注文したほうが気が楽ということです。
これは以前からのわたしの仮説なのですが、the more the merrierという言い回しがあるように、欧米には、「一人より二人のほうが、絶対に楽しい」という概念が根底にあるのではないでしょうか。偏屈な子供だったわたしは、気の合わない人と一緒に過ごすよりは、一人のほうが楽しいと思っていたので、学校帰りに一人で歩く道すがら、後ろから、それほど仲のよくない子に呼び止められて、一緒に歩かないといけないはめになると、「なんで、わざわざ声をかけたのだ。放っておいてくれたらよかったのに」と腹が立ったものでした。共通点もない人と話のタネを探すのに苦労しながら歩くより、一人で物思いにふけったほうが、ずっと楽しかったのです。
また、アメリカ短期留学中、休日に一人で観光に出かけると、決まってその後、まず、「誰と行ったの?」という質問を人々から浴びました。一人で外出したとは夢にも思わないようです。あまり頻繁なので、怒って(当時の若いわたしは怒りやすかったのでした)、なぜアメリカ人は、常に「誰と一緒に出かけたのか?」と聞くのかと、宿題の英語日記の中で、英作文の先生に尋ねたことがあります。返答は、「一人で出かけると危険なこともあるし、同伴者があってほしいという期待があるのだろう」という、いまいち説得力に欠けるものでした。
根本的に、一人より二人のほうが楽しいという観念があるゆえに、社交は欧米人にとって重要なものでもあります。友人がないというのは、人間としての価値にとって、致命的なことなのでしょう。
が、近年の一人暮らしの増加が、外食事情にも変化を及ぼしているということです。ロンドンの3分の1の世帯が一人暮らし。ニューヨークやパリでは、この割合は半分以上にまで上ります。ストックホルムなどの都市になると、60%が一人暮らしという驚くべき数字も。レストランに行くということは、たとえば、デートだったり、友人との会合だったり、これまで社交の一環としてとらえられていたのが、変わってきたということかもしれません。実際、複数で食事をするときよりも、一人で食事をするときのほうが、もっと料理の盛り付けや食べ物の味を吟味することができる、食べ物に集中できると言う人もいます。
ビジネス欄に載ったこの記事では、増加するシングルを対象としたニッチ市場に注目しています。こうしたシングルは、経済的に余裕があるので、外食に金をかけることができる、そこで、レストランも最近は、一人客を歓迎する方向にあるということです。たとえば、カウンター席を増やす、一人客にもっと気配りをするよう、ウェイトレス・ウェイターに促すといった努力をするレストランが出てきています。また、厨房をオープンにして、シェフとカウンター席に座った一人客たちとの双方向コミュニケーションを売り物にするというレストランも紹介されていました。これらの場合、一人で来た客も、カウンター席の隣に座ったほかの一人客と話をしたり、給仕係や料理人とのやり取りといった社交性に注目しており、基本的には、「一人より二人のほうが楽しい」という概念をくつがえすには至っていません。
カナダのレストランの例では、一人客向けに特別に、少量の8コース料理を用意しているそうです。その意図の裏には、「一人のお客様が、わざわざこのレストランを選んだのは、純粋に美味しい食事を味わうため。デートや何かのお祝いではない」ので、その期待に沿うべく、お店を代表するグルメコースを楽しんでもらおうというわけです。ここにも、やはり本来の外食の目的は社交というのが、大方の概念であるということが表れています。
同じ一人客に注目したレストランでも、コンセプトがまったく対照的なのが、一人用のテーブルだけしかないアムステルダムのレストランです。このレストランは、一人きりになることを目的としたもので、設計者いわく、「われわれの文化においては、移動中以外は、公衆の場所で一人きりになるゆとりがない。一人で食べるということは、他者から切り離されているという感覚のもっとも極端な形である」とのこと。つまり、ここでは、他の一人客との接触もなく、給仕係とのコミュニケーションも最低限のようです。昨夏に開店してから、毎晩予約満杯という繁盛のしかたで、今年中に、アントワープ・ロンドン・ベルリン・ニューヨークにも支店をオープンする予定。一人になること自体を目的としており、それを積極的に肯定している点で、前述のレストランとは、まったく異なると言えるでしょう。
また、このレストランは、コンセプトだけでなく、商業的にも他のレストランと異なっています。一人客がレストランから嫌われるのは、本来2人座れるテーブルを1人で占められるという商業的不採算によるからだという見方に、挑戦するものです。
実は、わたしがもっと興味深く思ったのは、この記事に対する読者からの反響のほうです。(非常に反響が大きかったようで、別ページに読者からのメールがまとめて紹介されていました。)特に関心をひいたのは、日本に滞在した経験のあるイギリス人2人のメールです。二人とも(両方女性)、日本に滞在するまでは、恥ずかしくて、一人で外食することができなかったが、日本では一人で外食するのは、まったく普通。特異なことでもなんでもない。おいしい料理は、同伴者にかかわらず、やっぱりおいしいということを思い知らされた、目からうろこの経験だったと述べています。東京に18ヶ月滞在したという、このうちの一人の女性の話では、少なくとも一つのラーメンのチェーンでは、一人客用のブースも設置されていて、個人的にじっくりラーメンを味わってもらおうとしているとのこと。わたしは実際に見たことがないので、この「ブース」とは、一人用テーブルごとにパーティションで仕切られたスペースなのではないかと、ただ想像するのみですが。
また、別のイギリス人女性の話もおもしろかったです。この女性は、一人で外食するのが嫌いで、どうしても一人で食事をしなくてはならないときは、退屈な沈黙に耐えながら、食事を終える。一人でロンドンの中心部に行った時、レストランに入ると、ウェートレスが、一人でも大丈夫か、後から誰か来るのか、とうるさい。はっきりと、一人用のテーブルを頼んだ後ですら、誰かを待っているのか何度も聞いてくる。まるで、デートの約束をすっぽかされたと思っているようだった。それ以来、ますます一人で外食するのが嫌いになったと書いています。ここにも、外食は本来複数でするべきで、女性が一人でレストランで食事をするなんてことは、ありえないという観念が表れています(男性の場合は、出張・外交中などと解釈されるのでしょう)。
これらの反響の中で、一人で外食をする人を「孤独で寂しい人」と思う人や、自分が一人で外食するのは、とても恥ずかしいと感じる人が多いことがわかりました。やはり、他人から寂しい人間と思われるのが、多くの人がひとり外食を嫌う一番の理由のようです。
それに対して、「かつては、自分もこうした概念を持っていたものの、最近は、他人と一緒に外食するより、一人を好むようになった。その理由は、スマートフォン。スマートフォンの出現以来、いいことか悪いことかわからないが、ひとり外食はひとり外食でなくなった」と書いている人もいて、これも興味深かったです。確かに、スマートフォンとの食事は、純粋な意味で、ひとりではないし、純粋に食事を楽しむとも言えないのではないでしょうか。
一方、ひとりで外食するときには、味や盛り付けなど、料理にもっと注意を払うことができる、自分のペースで食べることができる、他人に気兼ねなく、自分の思いにひたることができるといった、ひとり外食の利点を挙げているイギリス人男性もいましたが、最後には「でも、習慣にはしたくない」と結んでいました。
また、ひとり外食を30年間楽しんできたというイギリス人女性は、この10年間で、ひとりで食事をする女性に対するレストラン側の対応も、ずいぶんと変わってきた感じています。一人の女性客はしばしば他の人から見えないところに座らされてきたが、ついに、近年丁寧に扱われるようになり、この女性も、最近は窓際の特等席に案内されることが多くなったとのこと。
実は、この記事を書くに当たって、日本人側の調査もちょっとしてみたのですが、一人で外食するのは、やっぱり日本でも「恥ずかしい」と思う人がいるようです。上記のイギリス人女性は、立ち食いそばや、食券式の食堂などを例に挙げていましたが、やはり田舎と都心、地元と旅先、バイキング・ビュッフェ・高級レストラン・回転寿司などの業態によっても、微妙に気持ちは異なるようです。また、その理由も、上記のイギリス人たちのように、「友達がいないやつと思われるから」とか、「恥ずかしい」といった、体裁の問題と、「寂しい」という自分自身の気持ちの問題との両方あるようであることがわかりました。驚いたのは、お一人様お断りの料理店もあるとのこと。
というわけで、すべての日本人がひとり外食に抵抗がないわけでもなく、また、どんな業態の外食店でも、ひとりで平気で食事ができるわけでもないようですが、やはり、一人で外食する人の数は、日本のほうが圧倒的に多いし、一人客を主要客層として歓迎する店も、日本のほうが多いと思います。また、ハンバーガーなどのファーストフードに限らず、もっと幅広い料理が、一人でも気軽に入れる外食店で食べられるという点でも、日本は異なるでしょう。この背景には、日本人にとって、食べるということは重要なことであり、社交から切り離しても、外食が食べるということとして、また、食べ物を楽しむこととして、生活の重要な部分を占めるということがあるのではないかと思います。それゆえに、おいしい料理は、一人で食べても、二人で食べてもおいしいということを日本で実感したという上記のイギリス人女性の意見には納得がいきます。
ちなみに、同じ東洋でも、ベトナムは欧米と同じで、めったに一人で外食することはないそうです。この人は、以前、一人で外食したことがあるが、そのときに情けない気分になって以来、もう何年もひとり外食をしていないと書いています。でも、一人客用のレストランがベトナムにもできたらいいのにと書いているところを見ると、他人がどう考えるかさえ気にならなかったら、きっと一人で外食することには抵抗はないのでしょうね。
今回は、Anglo-bitesというより、グローバルに広がってしまいましたが、最後にイギリスについて考察したいと思います。ひとり外食が、純粋に食事を楽しむこととして流行するには、イギリス人は、あまりにも食に関心がなさすぎるような気がします。以前、イギリス人の「食」に対する意識について書いたことがありますが、伝統的なイギリス人は、食に対してもストイックです。近年、料理の腕を競う番組がヒットしたり、有名シェフのレシピ本が人気になったり、食べ物に対する関心は高まってきましたが、それでも、外食から社交的要素が切り離されて考えられるようになるには、さらに長い時間がかかるような気がします。