● 国民投票が残したもの
前回のメルマガ発行後、イギリスに行ってきました。気が付くと、5週間に及ぶ滞在になってしまいましたが、この5週間は実に興味深い期間でした。前回のメルマガでは、ブレグジットの話題を取り上げましたが、その国民投票の1週間前にイギリスに到着し、それからイギリスは激動の期間を迎えたことになります。また、政治にはあまり関心の無いわたしでしたが、裏切りあり、駆け引きあり、さすがにこの期間の政治ドラマには、大いに興味をそそられたものです。
まずは、国民投票前のイギリスのお話から始めたいと思います。わたしがイギリスに到着したのは、6月16日。到着してみると、目についたのは、離脱支持の看板の多いこと。周囲の人の話を聞いても、離脱支持が多いのには驚きました。それもそのはず。後で述べますが、そこは、離脱派優勢のロンドン郊外だったのです。
前回のメルマガで、「残留は現状維持である分、不安が少ないだろう」と述べました。それゆえに、投票前の議論で、「残留することのリスク」というのが、わたしには理解しがたい表現だったのです。つまり、リスクとは、「何か悪いこと、あるいは危険なことが起こるかもしれないという可能性」であり、現在と同じ状況が続くことに危険性はないというのが、わたしの理論でした。が、イギリスで実際に人々の話を聞くにつれ、残留は必ずしも現状維持ではないということを実感させられたのです。こうした人たちに共通するのが、「英国はだんだんに悪くなっている」という意見。そして、もし残留すれば、移民はさらに増加し、英国の雇用・医療・住宅・教育・福祉事情はさらに悪化するだろうという危機感です。
投票1週間前、欧州連合支持の労働党の国会議員ジョー・コックスが選挙区の事務所で、イギリスの独立を叫ぶ右翼男性に殺害された事件は、国民に大きな衝撃を与え、残留派に有利に働くだろうと思われました。が、理論がそのまま通用しないのが、この問題の予想できないところ。事件後、離脱派が盛り返し、世論調査では、接戦が予想されていました。
国民投票直前、為替市場は残留に賭け、ポンド高ユーロ安という状況でした。一般的な予想は、浮動票は最終的には比較的安全な選択肢である現状維持に流れるだろうというもの。英国独立党党首のナイジェル・ファラージですら、開票途中で敗北を認める宣言を用意していたくらいです。が、こうした予想を覆し、結果は52%対48%で、離脱が過半数を占めることになりました。
開票後の朝、イギリスを待ち受けていたのは、重苦しい雰囲気でした。まるで、国が戦争に突入することを発表したかのような深刻なムードが感じられました。選挙の翌日には、通常、少なくとも一つの党およびその支持者の明るい声が聞こえるものですが、この国民投票は、これまでの投票とはまったく異なったものだと言えるでしょう。これは、たいへんなことになってしまったいうのが、開票直後の英国民のおおかたの印象だったと思います。
このような大きな変化をもたらす問題に関する国民投票は、五分五分ではなく、少なくとも55%というような50%をはっきりと上回る過半数を、変化を要求するほうの得票率に求めるべきではないかという議論もあります。浮動票は、現状維持にまわるだろうと思われていましたが、結果的には、自分の現状に対する不満を少なくとも体制派に知ってほしいという方向に向かったのではないでしょうか。自分の一票で結果が変わるわけはないのだから、それなら、欧州連合離脱の是非はともかくとして、現状に対する不満を表現したいという人が予想されたよりずっと多かったようです。
さて、国民投票の結果を受けて、株式市場・ポンド市場(特に対米ドル)共に急落。金融市場は、予想によって動くものですから、直前の残留勝利の予想がはずれたことを考えれば当然の動きと言えるでしょう。とりわけ、EU離脱という未知の領域に突入したことは、予期できないことを嫌う市場にとっては、最悪の結果になります。また、一般的にも、子供たちが大学を出たときに、欧州で職を求めることはできず、就職難になるなど、悲観的ムードが強くなりました。残留派には、深く動揺する人が多く見られ、開票翌日のインタビューでは、48%の人たちのほうが雄弁だったように感じられます。通常の選挙だったら、4年間経てば、またやり直しの機会を与えられますが、この国民投票に関しては、もう二度と戻れないところに来たという実感が、国民の深刻なムードに反映されていたようです。
こうしたムードを受けて、離脱派の旗頭とも言えるボリス・ジョンソンは、「離脱が決定しても、すぐに変化が起こるわけではない」という内容の、混乱と不安を沈めることを第一の目的とした声明を発表しました。一般的に考えられる勝利宣言とは、程遠い内容および口調だったと言えるでしょう。こんなに真面目なボリスは、今までに見たことがないという感想を多く聞きました。実際のところ、手放しに勝利を喜ぶ発言は、3日後の欧州議会におけるナイジェル・ファラージのスピーチしか耳にしたことがありません。離脱決定は、ファラージ自身と英国独立党にとって、自己の正当性を立証した事実であり、最大の目的を遂げたことであるゆえに純粋にこれを喜べたわけですが、同時に、離脱派の与党議員たちのように、離脱決定後のイギリスを実際にどう舵取りするかという難問に直面する可能性がないだけに、気楽に勝利を喜べる立場にあったとも言えるでしょう。与党保守党議員たちにとっては、党の分裂という問題もあって、率直に勝利を喜べない複雑な立場にありました。
実際、分裂は保守党だけの問題ではありません。こうした重大な国民投票は、特に接戦の場合、国民の半分近くに不満な気持ちを残すという危険性を擁しています。開票結果発表直後、国民投票の実施したことにより、国を二分してしまったことで、キャメロン首相を責めた人たちもいました。
開票結果は、様々な意味で国を二分することになります。まず、地理的な対立が明確になりました。スコットランドでは62%、北アイルランドでは55%と、それぞれ、残留派が圧倒的な大多数を占めています。これにより、投票前から予想されていたとおり、スコットランドが英国のEU離脱を考慮に入れた上で、再び独立を問う国民投票を行う可能性が濃厚になってきました。また、北アイルランドでも、EU加盟国であるアイルランド共和国への統合を議論する向きが出てきており、英国への残留かアイルランド共和国への統合かを問うた、1973年実施の国民投票を再び求める声も上がっています。
地理的にも、また、都市部対田舎という対立が明らかになっています。ロンドンをはじめとする都市部では、残留派が過半数を占め、逆に、郊外・田園部では離脱派が過半数を占めるという結果になりました。わたしのトレーラーハウスがあるケント州は、ロンドン郊外から田舎に渡っており、わたしの属するメイドストーン選挙区の開票結果は、離脱58.8%、残留41.2%という結果になっています。道理で、投票前、離脱支持の看板が目に付いたはずです。
年齢別でも、分裂は明らかです。若年層では、残留派が多く、年齢が増すにつれ、離脱派の割合が増えていきます。YouGovの調査では、18〜24歳で、残留派が75%を占めるのに対して、65歳以上では、離脱派が61%を占めるにまで及んでいます。若年層では、欧州連合の一部であることを雇用機会と捕らえる人が多いのでしょう。また、若者には、英国は欧州の一部という感覚がすでに根付いているのかもしれません。それに対して、熟年層では、「英国は悪い方向に進んでいる」という危機感が濃く、英国の独立回復を求める愛国心が強いようです。こうした年齢層での対立を反映して、開票直後は、ソーシャルメディアを通して、「年寄りは、先のことを考えていない。年寄りに投票権を与えるな」という若者からの発言に対して、「誰のおかげで、今日、おまえたちが投票できると思っているのか」とお年寄りが応酬するなど、国民の分裂が心配される事実もありました。
投票結果を受けて、キャメロン首相が辞任を発表したのもまた、ブレグジット決定後の混乱を深めました。離脱決定後のイギリスを舵取りしていくには、新しい指導者が必要であるというのが、その辞任の理由ですが、残留キャンペーンを主導してきたデビッド・キャメロンが開票結果の責任を取って辞めたというのが一般的な解釈です。が、そこには、残留に向けて、自分にできることはすべてしつくした、それでも、国民が離脱を選んだのなら、離脱派の人が、欧州連合との交渉を始めとする今後の厄介な仕事に取り組むべきだというニュアンスがあったように思われました。このわたしの印象は、後の組閣で確認されます。
さて、首相の辞任発表後、今度は、保守党の次期党首争いに政治的焦点は移りました。キャメロン首相の辞任の意図を尊重するならば、当然、次期首相は、離脱派の保守党議員ということになります。国民投票前から次期首相の呼び声も高かかったボリス・ジョンソンが最有力候補と見られていましたが(それに対する国民の不安も大きかったですが)、離脱キャンペーンの盟友であり、ボリスの党首選キャンペーンの責任者でもあったマイケル・ゴーブが、ボリスが党首選に立候補しようというその朝に、ボリス支持を撤回し、自ら党首選に名乗りをあげました。これによって、ボリス・ジョンソンは党首選には立候補しないことを決定。その後、世論は、一気に「裏切り者」マイケル・ゴーブに冷たくなります。
第1回目の国会議員による党首選予備投票で、マイケル・ゴーブは、残留派のテリーザ・メイ、離脱派のアンドレア・リードソンに次いで3位につけましたが、2回目の予備投票で候補から外れました。党員投票によるメイとリードソンとの女性同士の一騎打ちになるところでしたが、リードソンが「勝つに十分なほどの支持がない」ということを理由に辞退したため、テリーザ・メイが党首に指名されました。(「子供がいないメイとは異なり、自分には子供と孫がいる分、国の将来に対する真剣度が高い」とリードソンがとオフレコで発言し、子供がほしくてもできなかったメイ夫妻に対して残酷というので、かなり評価を落としたことは確実。)
蓋を開けてみれば、残留派首相の誕生ということで、キャメロン前首相の思惑とは異なりましたが、テリーザ・メイは今後のEUとの難しい交渉もうまく扱えるのではないかと期待されています。14日の新内閣の発表では、ブレグジット担当にデビッド・デイビス、外務相にボリス・ジョンソン、国際貿易担当にリーアム・フォックスと、ブレグジット関係の役職(ブレグジットと国際貿易はそれぞれ新規設立)に離脱派の議員を任命しました。離脱の念願がかなったのだから、その結果の責任を取り、難しい仕事をうまくこなしてみなさい、ということなのではないかと思います。意地の悪い人に言わせれば、自分の首を締めるためのロープを用意してやったということになりますが、残留派中心の内閣が(政界全体で、残留派のほうが大多数だったのですから、これは当然の結果と言えるでしょう)、「離脱は、表面だけの生半可な試みに終わるのではないか」という国民の51%が抱く疑惑に対して示した意思表示とも解釈できるでしょう。
ちなみに、党首選でメイの対立候補だったリードソンは環境・食料・農村地域大臣として内閣入りしたものの、前司法相マイケル・ゴーブは、役職なしの平議員に戻ることになりました。もし、これを予想して、ボリス・ジョンソンが党首選から退いたのだとしたら、顔に似合わぬたいへんな策士ということになります。
さて、保守党党首選に絡むドラマはあったものの、新首相も比較的早く決定し、新内閣もスムーズに発足、株式市場も当初のショックから回復して、結局のところ、ブレグジットの悪影響は心配したほどではなかったという結論に落ち着きつつあります。特に、ソフトバンクによるARM社の買収は、ブレグジット決定後初めての大型買収案件とあって、離脱によって英国への直接投資がストップすることはないと、心強いニュースとして英国民に受け取られました。
また、離脱決定後すぐに、オーストラリアが英国との自由貿易協定を申し出たり、離脱に対して警告的な発言をしていたオバマ大統領率いる米国およびカナダも、離脱後も英国との貿易関係を維持することを約束するなど、欧州連合を離脱しても、鎖国状態になるわけではないことが印象づけられました。離脱決定直後の欧州連合関係者の発言は敵対感に満ちたものが多かったですが、ドイツ・フランスなど、国単位では理解を示したところが多かったように思われます。万が一、欧州連合との絆を完全に断つことになったとしても、二カ国間協定という形で、欧州のそれぞれの国々との新しい関係を築いていくことが可能です。もし、欧州の優等生国との互恵関係を築き、お荷物国との与えるだけの一方的な関係を絶つことができれば、離脱は成功であったと言えることになるでしょう。
というわけで、国民投票後、英国民のムードは楽観的に変わってきていますが、わたしとしては、国民投票を経て英国が二分することが一番心配でした。半数以下とはいえ、1,600万人の人が「それ見たことか」と最後に言いたいがために、英国の離脱失敗を祈ったとしたら、それは非常に危険なことです。
もちろん、当初は残留派からの抵抗もありました。ロンドンで大規模なデモが行われましたが、これは、残留派が大多数である若年層の人たちが中心となっており、残留派が過半数を占めたロンドンで行われたという背景もあります。また、再投票を要求する嘆願活動もあり、多くの署名を集めましたが、保守党・労働党ともに、再投票は非民主的であり、はっきりと離脱に票を投じた英国民に対する背信行為になるとして、再投票の可能性を否定しています。
メイ新首相が言ったように、「ブレグジットと決まったからには、本気で取り組み、成功させましょう。」という境地に、残留派も離脱派も含め、英国民もまた、落ち着いたと言えるかもしれません。わたしの心配も杞憂に終わりそうで、ほっとしています。
一方、EU離脱国民投票の悪影響の中でもっとも顕著なものは、憎悪犯罪の増加と言えるでしょう。6月24日以降、離脱派の多かった地区における外国人(特にポーランド人)に対する犯罪の急増が報告されています。
また、経済面では、ブレグジット後の不況が心配されていますが、現在発表されている景気データは、4〜6月期のものが直近であり、ブレグジットの本当の影響が明らかになるのは、しばらく先のことになりそうです。
さて、ブレグジットの今後ですが、まずは、加盟国の離脱を認める第50条の発動が最初のステップとなります。これが発動されてはじめて、二年間の期限付きで離脱手続きが始まりますが、メイ首相が今年中の第50条の発動はないと発言しているため、正式な離脱は、しばらく先のことになるでしょう。第50条はこれまでに発動された例はなく、欧州連合にとってもまた、未知の体験と言えます。英国としては、まずは、なるべく好条件で欧州連合を離脱できるようにするということが今後の課題となり、ブレグジット三役(アレクサンドル・デュマの「三銃士」にちなみ"Three Brexiteers"と呼ばれます)に加え、メイ首相の交渉力が注目されるところです。